2013年3月21日木曜日

「itadakimasu」を世界語に!

とある翻訳サイトで「いただきます」を翻訳したら「Let's eat.」と出てきた。
私は思わず「ふざけんな!全然違う!責任者出て来い!バカヤロー!」と(心の中で)叫んでしまった。
「いただきます」に含まれる意味は「それ、喰え」何ぞという意味ではないと思っている。

我々日本人は食事をする前に、両手を合わせて「頂きます」と言う。
一般的には「両親や、食料を作ってくれた人、動物に感謝する」ために「頂きます」と言われているようだが、私はもっともっとDEEPだと思っている。

まずはじめに植物。植物への感謝を含めなければならない。
細胞レベルで見れば、植物も動物もたいして変わりない。多くの植物はセルロース製の硬い細胞膜に覆われ、すばやく動くことに適していないが、細胞内の葉緑体によって光合成を行い、有機物(栄養素)を生成している。この硬い細胞膜によって強固な身体をつくり、光を求めて100m程の高さになる植物も存在する。多くの動物は硬い細胞膜がないかわりに自由に体を動かしやすく、葉緑体をもたず栄養素を生成できないため、他の生物(植物の場合もあり、動物の場合もある)を捕食して、自らの栄養を獲得している。
栄養素の獲得方法は異なるが、それ以外の生命活動は細胞レベルではほとんど同じなのだ。

「動物には意識があるというが、植物にはない」との意見もあるかもしれない。しかし、最近の研究ではブドウに音楽を聞かせたらワインがおいしくなったとか、群落の一箇所に害虫を近づけたら、フェロモンのような物質が分泌され、群落一体の植物が害虫に対する警戒態勢をとったなどという報告がある。
これらは我々人間にはわからないが、植物には植物なりの意識やコミュニケーションがある証拠だと考えられないだろうか。

ちなみにちなむと、維摩経という経文には「香りで法を説く仏の世界」という話が出てくる。「意地汚くてボンクラが住む世界で、言葉で法を説かなければならない釈尊は大変だね」というセリフもある。
もしかしたら「香りで法を説く仏の世界」とは植物の世界のことかもしれない。

話を戻そう。
生命体というレベルでは動物も植物もほとんど変わりない。その意味で「いただきます」には、植物への感謝を含めるべきと考える。

次に「他の生命体を頂くからには、何かしら世のため、人のために頑張ります」との決意が篭っている言葉だと思っている。
エネルギーとエントロピーの開放系である生命体は、外部からエネルギー密度の高いものや、低エントロピーのものを取り入れ、高エントロピーの熱や、利用が難しい排泄物を出さなければ、命を繋ぐことができない。すくなくとも、現在地球上のすべての生物はこれに当てはまる。

万物の霊長たる人類が、単なる糞袋として、無為に過ごしてよかろうはずがない。人様に迷惑かけたり、絶滅危惧種の動植物を貪ったり、地球環境破壊を助長したり、ましてや人を殺してよいはずがない。
よそ様の生命を頂くからには、何でも良いから世のため、人のため、小さなことからコツコツと、やっていくてぇ~のが、人の道てぇもんじゃ~ぁござんせんか?

「ならば、将来無機物から人間の栄養となる物質を工業的に作成できる時代がきたら、『いただきます』と言わなくてもよくなるんじゃないか」と思った、そこの君!フッフッフッ考えが甘い。

地球を守るため、自ら太陽に飛び込む鉄腕アトム。大作少年の命令に叛いてギロチン帝王を抱え、宇宙空間で爆発するジャイアントロボ(TV版)。核ミサイルを防ぐため自ら飛び込む攻殻機動隊stand alone complex のタチコマ。スカイネットの技術を残さないため自ら溶鉱炉の中に消えるターミネーター2。惑星イトカワのサンプルを地上に届け、自らは燃え尽きた人工衛星はやぶさ。

これらは、創作の産物であったり、事前に決められ、プログラミングされたものだが、ウルウルするのは私だけではないでしょう?将来アシモフのロボット3原則が実装された人工知能が実現して、人間のために自らを犠牲にするロボットが現れた時に、人はきっとウルウルすると思うのだ。(人を殺すロボットはもう実現しているようだけど。怒怒怒!!)

非生命であったとしても、他者のために自発的に自らを犠牲にする存在に敬意を払う感情は、自然なものだと思うのだ。生物・非生物を問わず、自らを犠牲にして、他者の生命を長らえさせる存在に、益を与える存在に敬意を払う。これが「いただきます」の価値の核心だと思うのだが、どうだろう?

「itadakimasu」より一足早く世界語になりつつある言葉「mottainai」。
とりあえず必要がなくなっても、なんらかの形で利用できるものは保管して再利用を図る「mottainai」も、この日本的なアニミズムの延長線上にあると考えている。
「mottainai」同様、「いただきます」の価値観は世界に広める普遍性があると思うのだ。

「itadakimasu」を世界語に!

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