2013年3月2日土曜日

「不完全性定理」大好き! 新しい誤用の追加

ユークリッド原論の平行線の公準(直線以外の点を通って、直線に交わらない直線が1本だけ引ける)は他の公理からは証明も否定もできない。平行線の公準を真として成立するのが通常のユークリッド幾何学。三角形の内角の和は180度だ。平行線が一本もないとして成立するのが楕円幾何学。ボールなどの表面上で成り立つ幾何学で三角形の内角の和は180度より大きくなる。2本以上あるとして成立するのが双曲線幾何学。ドーナツの内側の面などで成立する幾何学。三角形の内角の和は180度より小さくなる。

これら3つの幾何学は、平行線の公準をどう扱うかによって、論理的に矛盾なく、性質の異なる幾何学としてそれぞれ成り立つ。

有限個の公理では否定も肯定もできない定理が必ず存在し、他の公理では否定も肯定もできない公理に準じた命題を前提・要請することによって幾何学のような大きな論理体系が拡張された。
同様のことが数論にもある。自然数しかなかった数の世界に-1などの負数の概念が導入され整数論になったり、i=√-1という虚数の概念が導入され複素数論に拡張されたのだ。

新たな誤用(後述)を追加すれば、それまで当たり前とされた考え方に、まったく別な角度の考え方を加えると、より普遍的な拡張がなされることがあるということだ。

前文は純粋に数学・論理学的概念が、私をinspireした私の勝手な主張だが、その究極の例がゲーデルの不完全性定理だ。

ゲーデルの不完全性定理とは数学基礎論の最重要の定理で、完全・無矛盾な公理体系が存在しないことを示した。(不完全性定理をイメージ的に理解するにはこのページが理解しやすい。)
この定理自体は、厳密に数学・論理学上の定理で、理解するにはそれなりの努力を要する。

要は、限られた数の公理から導かれる(演繹・証明される)定理には限界があり、否定も肯定もできない定理が存在する(第一不完全性定理)。無矛盾の公理系は自らの無矛盾を証明できないし、矛盾のある公理系は自らの矛盾を証明できる(第二不完全性定理)。

不完全性定理自体は純粋に数学・論理学の世界の議論であり、物理的な現実世界とは何の関係もない議論だ。用語は厳密に定義され、その記述は数式の羅列で、人間性がかかわる余地はなく、時間的な観念も空間的な観念も存在しない。そのため不完全性定理の結論を、単純に現実世界の様々な議論の論拠とすることは明らかに誤りだ。

だがそこに時間経過や、空間的広がり、人間性、戦略、ゲームのルールなど現実世界の様々な現象を適用すると実に示唆的になる。

ドーム球場で野球をする際、打球が天井に上がってしまい落ちてこないことがある。これを、野手が取れないところまで打ったのだからホームラン扱いだとして考えることもできるし、二塁打扱いにするかもしれない。なかったことにして投球からやり直すという考え方もあるだろう。野球というゲームで遊び始めた人たちには考えられなかったし、考える必要もなかった事態だ。

刀・槍・弓矢・騎馬という従来の戦法で戦国時代最強と謳われた甲斐の武田騎馬軍団を、織田信長は火縄銃という新兵器を用いることによって撃破した。火縄銃という技術革新が戦の戦い方を変えたのだ。

家庭用ホームビデオの草創期、技術的にはソニーのβ-MAXが圧倒的に優れていた。しかし、技術的には劣っていても視聴できるコンテンツを取り揃えたVHS陣営に駆逐されてしまった。

国内市場の寡占化を防ぐために独占禁止法ができたが、自国企業が国際市場で生き残るために独占禁止法が緩和される。

オリンピックの柔道は、テレビ映りを考慮して、青い柔道着が導入され、ルールが変わった。

西洋哲学の源流ソクラテスは弁証法を提唱した。ある命題定立。それに反対する立場の反定立。その両者を統合して新しい地平を拓く止揚。思えば不完全性定理は弁証法の数学的表現のようにも見える。

これらのことから勝手に教訓を上げると次のようになる。
・明文化したルール、戦略、社是、法律等には自覚の有無に拘わらず適用範囲があり、機械的に解釈すると明文化したルール等に適応しない状況の変化が起こりうる。
・その状況変化に対応したルール等を再構築しても、新たな状況変化は限りなく発生しうる。
・もしあらゆる状況変化に対応したければ、その明文化されたルールの中に互いに矛盾した内容が含まれている必要がある。

最後の項目は解りづらいかもしれない。例を上げれば、日本国憲法の中で基本的人権と公共の福祉の関係を考えればよい。
さらにこんな例もある。とある宗教団体の法主は、宗祖の教義を未来永劫残すため、遺言に次のような条項を遺した。
一、時の貫主為りとも仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。
一、衆議為りとも雖も仏法に相違有らば貫主之を摧く可き事。
宗祖の教義を永遠ならしめようとした法主の深い洞察が窺がわれる。

不完全性定理と関係があると思われる勝手な例をいくつも上げたが、こんな勝手なことを思う人は
他にもいるようで、不完全性定理の誤用を解説するだけで1冊の本ができている。中には「神の存在が証明された」と捉えた人もいるようだ。

えっ!前のブログで書かれていた不完全性定理がパラダイム変換に結びついてないじゃないかって?
それはいつかのお楽しみにとっておきましょう。

私にとってゲーデルの不完全性定理のイメージは無限ともいえる発想の展開を触発してくれる。
不完全性定理大好き!

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